私のトナリビト 助産師のブログ

途上国の女性のエンパワメントをしたい、と思い助産師に。違いをわかちあい公平な関係を築きながら共生する世界に生きることが夢。キーワード;共生/公平/エンパワメント/女性/SDGs/生と性/環境問題/ethical/国際協力/平和

夢の原点①小4で途上国を知る

 こんにちは。

 

 今年もいつの間にか梅雨が明けて、蒸し暑い7月が始まりました。

 

 先月からブログを始めましたが、たくさんの出会いや学びを経て、もう一度原点に立ち返ろうと思いました。

 

 名付けて「夢の原点」。

 私がなぜ途上国で女性のエンパワメントをしたいと思ったか。

 これまでの思考過程と、選択、行動を振り返って、今後やるべきことを見出していこうこ思いました。

 ほぼ、私の回想日記になるかとおもいますが…!

 同じような将来を思い描いてる方、これから大学を受験する方の参考になる部分も少なからずあるかもしれません…!

 

「夢の原点」のテーマでは以下のような4本立てで書いていきたいと思います。

 

①小4で途上国を知る

②高1でカナダ留学

③高2でタイへボランティア

助産師を志した大学生時代

 

 今回は、「小4で途上国を知る」の巻。

 

 その日は突然やってきました。

 ある日、担任の先生がクラスに言いました。

「先生は、モンゴルに親善大使としてボランティア活動をしてきました。その時のビデオをこれから流しますね。」

 

 先生がクラスで流した、恐らくご自身が撮影した映像が流れました。

 なんということでしょう。

 そこには、道端やマンホールで暮らす子どもたち、いわゆるストリートチルドレンマンホールチルドレンと呼ばれる同い年くらいの子どもたちがいました。

 箱入り娘でなに不自由なく生まれ育った私は、かなりのショックを受けました。

 映像は続きます。担任の先生をはじめとする、ボランティアのメンバーの方々が、日本のカレーを子どもたちに炊き出しをして配る姿がありました。

 子どもたちはとても喜んでいて、おかわりをしていました。

 

 全てのビデオが終了した頃には、私は半ば放心状態になり、わけがわからなくなったのを覚えてます。

 

 世界には住む場所がない人がいる、食べるものがない人がいる、お母さんやお父さんと暮らせない人がいる。

 そしてその中には私と同じくらいの子どもたちもいる。

 私の当たり前が当たり前じゃない世界があることを初めて知り、非常にショックを受けました。

 

 

 その時に芽生えた感情は、

 かわいそう

 こんなの不平等だ

 なんでこんなことが起きるんだ

 

といったものでした。

 

そして小学生ながらに決心したのは、

「途上国で困っている人たちのためになりたい」

という夢でした。

 

 記憶が曖昧ですが、きっと母にそのことを話したのでしょう。母がいろんな資料を見せてくれたのを覚えてます。

 

 国際連合という機関の存在、その中のユニセフという機関の働き、途上国ではどんな問題が起きてるのか、そのためになにができるのか。

 

 小学5年生の自由研究では、ユニセフ子どもの権利条約、自分にできることを調べてまとめました。

 

 調べていくうちに、国によっては女子が差別を受けており学校に通えない現実があること、妊婦さんや子どもたちが命を落としやすいことなどを知りました。

 同じ女性として、差別を受けることに憤りを覚えました。

 

 もともと不平等なことが嫌いな性格であり、また英語が大好きで海外の違う文化に興味があったのでストレートにあの映像が私に影響してきたのだろうな、と今となって振り返ります。

 

 

 小4での途上国との出会い。

 私が受けた衝撃を担任の先生が察知してくれたのでしょうか。

助産師になって女の人たちのためになったらいいんじゃない?」

と、ぽろっと言われたのを覚えてます。

 その時は、助産師という職業がピンとこなくて、それよりも国際機関で働きたいという思いが大きく、助産師にはならないなあ…と思っていました。

 

 そんな私が今となっては、その時の担任の先生が言った通りの道を選び働いています。

 

 なぜそうなったのか。

 

なぜ助産師という手段を選んだのか。

 

続きは次回のブログで。

 

 

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

性の多様性が社会に浸透していくには?②

 こんにちは。

 前回のブログ「性の多様性が社会に浸透していくには?①」の続きとなります。

 

 埼玉大学 教育基盤研究センター「性の多様性をどう考える?〜フィンランドと日本を比べて〜」の学習会(詳細は性の多様性が社会に浸透していくには?①参照)を通して私が感じたことは、ズバリ

 

「性の多様性は教育されるものではなく、性の多様性を前提とした教育をしていくことで、自然に個人の価値観に浸透していくものなのではないか」

 

 ということ。

  そんな感想を持つに至った私が学んだことは3つ。

 主に、教育者である方々の報告会であったため、子どもたちや教員を対象とした教育をするにあたり大事なことを学びました。

  1. 「自分と違う人がいるのは当たり前」といった感覚が子どもたちに自然に身についていくためには、保健の授業で扱う性教育にとどまらず、他教科やさらには日常生活において異性愛を前提としない教育・関わり方をすること。
  2. 子どもたちの気持ちや生きてきた環境を配慮して関わること。
  3. 教える側が自身の価値観を押し付けないこと。

 

 自身のことを棚に上げた上で話しますが、性の多様性が前提として語られない社会で、性の多様性をどう浸透させていけば良いのだろう。異性愛がマジョリティの社会で、性の多様性を前提として話したところで、すんなりと受け入れる人がどれだけいるでしょうか。

 

 お話の中でこんなエピソードがありました。

 「〇〇さんは結婚しないんですか?」

 「うーん、日本の法律だと結婚できないんだよね。」

 それを聞いて答えが2極化したそうです。

 ①「そういうことね。」

 ②「どういうこと?!」

 

 

 

 特に、小学生くらいの子どもたちは、性的マイノリティとの関わりが少ない環境で育ってきている人達が多い。知っている大人といえば、親、親戚、教員、習い事の講師くらい。身近にマイノリティがいなかったら日本の社会の中で成長してきた彼らの中では、異性愛が当然という感覚が育まれていることは想像がつきます。

 その中で、自分がマイノリティに属するということを覚った子どもは生きづらい現状があります。

 また、教える側の性的指向によって偏った価値観を意識的または無意識的に押し付けてしまう可能性もあります。

 

 

 そんな異性愛が前提としてある社会で、性の多様性を性教育など一部の授業で扱ったところで、簡単にそれが個人の感覚や価値観の変化に結びつくのは難しい。

 

 だからこそ、性の多様性とは、〇〇である!という教育を一部で行うのではなく、すべての教育科目において、また日常生活の関わりの中で、性の多様性を前提とした教育や関わりをしていくことが大切であることを学びました。

 具体的には、保健体育の教科書のLGBTについて書かれているところだけに、ゲイのカップルの写真を添えるのではなく、国語の教科書に家族の絵を添えるのであればレズビアンの家族の写真を載せたり。

 掃除をするときに「男の子はこっち手伝って〜」「女の子はこれをやって〜」と分けるのではなく、「重いもの運ぶのに自信がある子はこっちきて〜」と言った分け方にしたり。

 

 またまた学習会中に出てきたエピソード

 「先生は男なのに、なんで自分のことを私っていうの?」

 という女の子の生徒に対して

 「大人は男女関係なく私という言葉を使うことがあるんだよ。

  あと、先生は、自分のことを私と呼んだ方が居心地がいいんだ。

  自分がどんな言葉つ使うかは、自分が居心地がいいかどうかで選ぶよね。

  それは、あなたも私も同じだよね。」

 

 完璧な答えを探すのではなく、面と向き合って嘘をつかずに対話をすることが大事ということでした。

 

 もっともっと、たくさんの分かりやすいエピソードや学んだことはあったのですが、長くなってしまうので自分の中に温めておきます。

 

 今回の学習会を通して私が全ての性のあり方を知っていつもりになったことはさらさらありませし、博愛主義の八方美人というわけでもありません。

 世の中にはまだまだ私の知らない人への魅力の感じ方や、自身の性に関するアイデンティティがたくさんあります。

 

 LGBTの象徴としてレインボーカラーがよく用いられますが、個人的にはSOGIの象徴として勝手に捉えています。

 虹って、色と色の境目がはっきりしているのではなく、グラデーションで繋がっています。どこかに当てはまらなければならない、このカラーが王道だ、ってことはないですよね。とっても素敵な象徴だなと思います。

 

 

 自分も含め、性には多様性があるということが誰しもにとって当たり前になる。

 雨上がりにかかる虹のように、さりげなく、特別な意味合いを持って。

 そんな社会に生きてみたい。

 

  私もこれから教育者となっていきます。

 性の多様性を前提として、でも相手の背景を配慮しながら理解しやすい形に噛み砕いて、自分の価値観を押し付けず。

 

 まずは自分の言動を振り返ってみよう。無意識な差別をしていないか。

 それからこれからは積極的にいろんな人にあって話を聞こう。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 また、自分の知見がアップデートされたら投稿していきます!

 

 ではでは。

 

 

 

   

 

 

 

 

 

性の多様性が社会に浸透していくには?①

 こんにちは。

 

 

 さて、今回の投稿ですが、こちらの学習会に参加したため、学んだことと感じだことを共有したいと思います。

 

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 埼玉大学 基盤教育研究センター様主催

「性の多様性」をどう考える? フィンランドと日本を比べて

 

 私は現在、性教育をするために何をどんな風に教えていくべきかを勉強中です。実際に若者や保護者向けの性教育を行っているNPO法人に登録しており、フェローとして今後実際に性教育をしていく予定です。

 なぜ、性教育をやりたいと思ったか、ということはまたいつか書きます。

 

 この学習会に参加した目的は、性教育をする時に欠かせない要素「性の多様性」は、性教育が先進的なフィンランドではどう扱われているのか、日本の現状はどうなっているのだろうか、ということを知るためでした。

 

 本題は学習会で学んだことと考えたことの共有なのですが、

テーマである「性の多様性」について私が学習会の前に抱いていた考えをこのブログではお伝えしていきます。(本題は「性の多様性が社会に浸透していくには?②」に投稿します。)

 

 「性の多様性」という言葉に皆さんは馴染みがあるでしょうか。

 それよりも、LGBTという言葉の方が聞いたことがあるかもしれません。

 最近は、SOGI(Sexual Orientation & Gender Identity)という言葉も出てきたようです。

 SOGIは、性的指向性自認と訳され、すべての人に関わることからLGBTより広い概念を指す(Wikipedia)とされています。

 簡単に言えば、LGBTは性的マイノリティを指す用語として使われていますが、SOGIはマジョリティも含まれる用語、というところでしょうか。 

 私自身、SOGIという言葉は恥ずかしながら最近知りました。そして、この用語を作ってくれた方、ありがとう!!!と思ったのでした。

 

 私はここでいうマジョリティに含まれる性的指向の持ち主ですが、マイノリティ性的指向を持っている人たちとも今まで関わりはありました。

 正直に申しますと、それこそ小学生の頃とかは、オカマは気持ち悪いとか、女が女を好きになるなんて理解できないって思っていました。

 女子校に入り、「あれ、女の子もなんかカッコよく感じる…。確かに、女が女を好きになることもあり得るな…。」と思うこともありました。女子校という環境の所為なのかと思ったのですが、大学生になってもそう言った感情を抱く経験をしました。

 自分がそういう経験をしたから、そりゃ誰が誰を好きになったってその人が魅力的なんだから性別なんてそんなに大事なことじゃないか、と思えるようになったのです。

 

 LGBTという用語は社会でもよく取り扱われるようになりましたが、やはり生物学的な異性同士が好意を抱くことが普通であり、例外として語られる用語のような気がしていました。単に多様な性の中でそれを指す言葉として自立していればそこまで深く考えなくてもいいような気もしますが。

 でもそうであるならば「生物学的な異性同士が好意を抱くこと」にも用語があってもいいのに。(用語があったらすみません、教えて下さい)

 そしてようやく、SOGIという用語に出会えたので、嬉しかったということでした!

 

 さて、次回は本題である、学習会を経て考えた性の多様性について。

 

 先取りしますと、私が感じたのはズバリ

 

 「性の多様性は教育されるものではなく、性の多様性を前提とした教育をしていくことで、自然に個人の価値観に浸透していくものなのではないか」

 

 ということでした。

 

 なんぞや?と思ってくれた方は是非次の記事へ!

 

 

 ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました!

 

 ではでは。また後ほど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい国際協力って?③

 こんにちは。

 

 昨日の 国際協力2.0  新しい国際協力 に参加してからも、書きたいことが山ほどあって、どんどん書かないと忘れてしまうと焦っています笑

 

 イベントを通して特に興味を持ったテーマ3つについて書いていますが、これまでの2つのテーマは、

①国際協力という言葉への違和感

②国際協力は自己満足?偽善?

でした。

 

 今回は3つ目のテーマ、

 

もっと具体的な国際協力の未来

 

について書いていこうと思います!

 

 登壇者のトークセッションのお題の中に、「未来」というお題がありました。

 

 これからの国際協力はどんなカタチが求められるのか。

 

 登壇者の方々のトークで出た意見→

 

•国外だけでの活動だけでなく、国内での活動とつなげていくことが必要

…どんなに大きなプロジェクトが現地で成功したとしてもそれは一つの小さな変化にすぎない。大きな変化をもたらすためにはその国にとどまらない変化が必要。

 

•アドボカシーに特化した団体が出てくるのでは?

(アドボカシー:主張、弁護。とくに権利擁護の主張。三省堂 大辞林より)

…まだまだ声をあげたくても挙げられない人がいる、環境がある。そんな環境にある人たちのために、声を上げるための団体が必要なのでは?

…アドボカシーは社会が変わるきっかけとなる。そのきっかけをつくっていく。

 

•自分のこととして、身近なこととして捉えられる仕組みづくり

…直接支援を受ける人と話す場、ラジオ、イベントなどの機会をつくる。SNSの利用は私たちの世代の強み。

 

•進化するITを巧みに使った国際協力

…途上国でもスマホにお金をかける人たちはたくさんいる。どんなデバイスが存在して、何ができそうか、現実的か常にアップデートしていく必要がある。例えばスマホを使った遠隔教育など。

 

•自分のライフスタイルの一部としての国際協力~ポップな国際協力~

…全ての人が国際協力にずっと従事し続けることはできない。また、国際協力の仕事に携わる人たちの特徴として、ブランクが生じることが多々ある。メインとするかサブとするかはその人、その時次第だけれど何かしらできるカタチがあるのではないか、普段から登壇者の皆さんは考えているよう。自分の好きなことと国際協力を掛け合わせてみたり。もっとポップにカジュアルに。

 

 いろんなカタチの国際協力がみえてきました。

 とくにITなんてこれから切っても切り離せない話題ですよね。

 

 私は正直登壇者の方々がこのような意見を出した背景を理解するに至っていません。なんでアドボカシーがこれからになって必要なのかもわからないし、国と国をどう繋げれば大きな変化を起こせるのかイメージが湧きません。

 

 これらについてはこれから勉強するにしても、これからの国際協力を考えていく上で大きく二つに分けてこんなことが言えるのでは?

 

1 国際協力のカタチをアップデートする

2 国際協力に直接関わらない人たちへのアプローチ

 

→1に関して

国際協力が柔軟にその時代に生きる人々に合うものであるために、

•その地域の進化をタイムリーに把握すること。

•時代の流れに伴う人々の意識の変化を把握すること。

•ITの利用を常に考えること。

 

→2に関して、

大きな変化につながる一歩、国際協力に直接関わらない人たちが問題意識をを持ち、国際協力への取っ付きにくさを感じにくくするために、

•もっと身近なものとして考えられる仕組みをつくること。

•ライフスタイルの一部に意識的にでもカジュアルに取り入れらる仕組みを提案、モデルとなること。

 

 長くなってしまい、わかりずらかったらすみません。現時点での私の頭の中です。

 これから歴史とか詳しい現状とかを学んでいく上で変化することは間違いなし。

 

 みなさんは、どう考えますか?

 

 今回で国際協力2.0に参加してシリーズは終了しますが、ここで得たこと、出会った人たちの情熱は私の糧であり、モチベーションです。

 

 今後とも、読んでいただけたら、そしてご意見頂けましたら幸いです。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい国際協力って?②

 こんにちは。

 

 昨日参加したイベント(詳細は6/8のブログ参照してください)から一夜明け、寝不足ですがまだまだ興奮中笑

 この興奮と、登壇者の皆さんの生の声を、アツアツなうちに書き留めておこうと今日も書きます!

 

 昨日のイベント、国際協力2.0 新しい国際協力についてのトークセッションで気になった話題、を3つに分けて書いています。

 

 本日は2つ目の話題について!

 

②国際協力は自己満足?偽善?

 

 これは、国際協力に限らず医療現場などでも付いて回るテーマだと思います。

 

 まずは、登壇者の方々の考え。

 

 そもそも、自己満足なのかどうか考えなきゃいけないのか?

 そうだとしたら自己満足だと思うが、それの何がいけないのか?

 マズローの五段階欲求の最上位(自己実現の欲求)に位置することだと思う。

 

私の考えは…

 

 自分のしたことが必要とされており、相手が明らかに助かって喜んでいるのであれば、自己満足だろうが偽善だろうがそこはそんなに問題ではないと思います。

 あってはいけないのは、相手が必要としてないのに、必要だろうと押し付け、相手の声に耳を傾けず、自分のしたことを客観的に評価せずに満足してしまうこと。

 

 自己満足と偽善という言葉がでてきてますね。

 

 自己満足はイメージしやすいですが、偽善は??改めて言葉の定義。

 

 偽善:うわべをいかにも善人らしく見せかけること。また、その行為。(デジタル大辞泉)

 

 私がこの道に興味を持ったのが小学校の頃でした。キリスト教系の中学に進学してから、毎日聖書を読むと出てくる「偽善」という言葉。

 

 私はマザーテレサのように自分の身を全て投げ出して、困っている人たちのためになりたいか?そう思わなければこれはしてはいけないことなのか?

 偽善ならば、やらないほうがいい、自己満足なんて、生ぬるい。自己犠牲をしてこそ意味があるし、本当の意味で寄り添えるんじゃないのか。

中二病チックな時期でもあり、だったら本当に好きなことをして、人に喜んでもらえるほうがよっぽどいい!と、一時期絵を描くのが大好きだったので、漫画家になろうかなと思ってました。(ギャグ漫画専門の笑)

 

 でも、漫画を描いているとネタが尽きるというか、飽きちゃうというか、絵も下手くそだしこれでは食ってけないと覚ったんですね。(因みに妹は今でも漫画家志望)

 

 そんなとき、どこの誰の言葉かも覚えてませんが「全ての人が幸せになる権利を持っている」という言葉を耳にしました。

 

 そこには私も含まれていると思いました。私は、私が幸せと感じることを追求していいんだと。家族とも繋がっていたいし、あたたかい家庭を築きたいし、美味しいものを食べたい。でも、困っている人がいるのにそれを見て見ぬ振りはできない。必要とされ、その人たちの幸せに自分が関与できるならしたい!

家族や家庭を持ちたいという希望を諦めてまで、人の幸せは私には追求できないけど、私にだって幸せになる権利があるのだからそんなカタチの活動も存在していいんじゃないのか?

 

 欲張りだ、生ぬるい、そんな思いではできることなんて限られてる。って思う方もいると思います。でも、私は家族と美味しいものと縁を切ったら、人の幸せなんて追求できない人間なんです。

 自分が満たされて、初めて人を幸せにできる。自分が何に満たされるかは人それぞれで、私は人や食べ物の恵まれた環境で育ったため、簡単にはそれを切り離せません。

 それに、現実的な話、ある程度健康でお金を持っていないと、それこそ困っている相手にできることは限られてしまうと思います。

 

→つまり、国際協力は自己満足?偽善?

 

と、聞かれたら自己満足。

だけど、相手に必要とされ、喜んでくれているなら悪いことじゃない。

偽善かどうかは、思っていることを行動にしていればうわべだけの演技とはいいがたいのでは?更にそこに自己犠牲があればますます偽善とは言いにくい。

 でも、人はみんな幸せを追求していいのだから、多少自分勝手でも、欲張りでも、何を捨てるかは自分で判断していいと思う。

 

 少なくとも、うわべの演技でできるようなことを登壇者の人たちはしていませんでした。

 なんとかしたいという熱い思い、たくさんの方々と面白いことしたいという熱い思い。そんなまっすぐで正直な思いは、きっと会場の全て人が感じていました。

 

 自己満足でも、偽善でも、無関心よりはずっといいと思います。

 

 私もまだまだ関心を持っていないこと、それ以前に知らないことがたくさんあると思います。地球市民として、今起きていることをしっかり把握して、じゃあ、自分は何をしたいか、何ができるのか、考えていこうと思います。

 

 長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました!

 

次は3つ目のテーマ

③もっと具体的な国際協力の未来

 

について書こうと思います!

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

新しい国際協力って?①

こんにちは。

 

今日はずっと楽しみにしていたイベントに行ってきました!!

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国際協力2.0

実際に国際協力の担い手として活躍している同世代の方々のトークセッション、そして、そこに集まった150人の参加者との交流会!

 

激アツでしかありませんね。

 

テーマは「新しい国際協力」

 

ここではこれまでの国際協力がどうあって、今に至るかというよりは、実際に現在活躍されている方々の生の声を聞いて、

「私は現時点でどんな風に国際協力を考えるのか」

を書いていきたいと思います!こんな時間なのに熱が冷めない…

だらだらとりとめがなくなりそうなので、トークで出てきた特に興味深かった3つの話題に分けて書きます。

 

はじめのテーマはこちら。

 

①国際協力という言葉への違和感

 

 登壇者のみなさんが声を揃えていっていました。

 いわゆる国際協力をしているわけですが、国際的な活動だとか、協力しているだとかいう意識はないそう。

 

 もはや先進国が途上国の支援をする、という考え方ではなくて、お互いがよりよい健康や生活を追求していく、といったカタチになりつつある。

 

 私自身も、国際協力という言葉を使うのにはためらいがありました。

 上から目線みたいだし、そこにはどうしても「進んでいる国」と「そうでない国」という関係性が植え付けられてるようで。

 

→ここで私の考える新しい国際協力

 

 グローバルという言葉は今は馴染みのある言葉だけど、そもそも地球という1つの地域に勝手に境界線を引いたのは人間。隣近所で助け合うのと同じように、国という垣根を超えてお互い様の精神で助け合う、幸せを追求するっていう捉え方がしっくりくる気がする。

 

 登壇者の一人が「地球市民」という言葉を挙げていたけどそういうことなんじゃないかな?

 

 知識や技術の提供者と享受者の両者が共に前を向いて進んでいく関係性。

 提供者も足元を見下ろして、一方的に享受国の足りないものを補いにいくだけでなく、自国がどうあればより解決に近づけられるかという視点ももたなきゃいけない。

 

→つまり、新しい国際協力って?

 

 地球市民同士がお互い様精神でともによりよい健康と生活を追求すること!!

 

こんな感じかな…???

 

なんせ、人の数だけ国際協力のカタチがあるのでそれぞれの考え方はあるのだろうけど、今の私はこう考えます。

 

 みなさんはどう考えますか??

 

 次のテーマは次回のブログで。

②国際協力は自己満足?偽善?

③もっと具体的な国際協力の未来

 

について書きたいと思います!

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

初投稿!

記念すべき初投稿!

 

こんにちは。

 

初投稿の記事は、私がブログを開設しようと思った理由を書いておこうと思います。

 

助産師として働いて早2年。国際協力の現場で役に立ちたいと思い助産師になったわけですが、1年目は職場にいくのがやっと。自分のメンタルもコントロールがままならず、「日本でこんなんじゃ、海外で人のためになんてムリだ…」なんて思いながら、休まず行くことを目標にしていました笑

 

そして2年目。ようやく気持ち的にも余裕ができ始め、やっぱり戻ってきた気持ちは「助産師として途上国で女性や子ども、家族や地域のためになりたい」という思いでした。

 

様々な団体のツイッターをフォローし、興味のあるイベントやNGO団体に顔をだし、今の私が成長するために必要なことがわかってきました。

 

①国際協力という概念に対して自分現時点での考えがない。

②それを考える上での世界情勢や保健医療の問題についての知識がなさすぎる。

③教育者•ピアとしての経験の不足。

 

①、②に関して→

一言で国際協力といっても、その内容は人によって様々です。

自分がやりたいことを国際協力の一言で片付けるのではなく、文章で、時には具体的に語ることができないと、この先何を軸にしていけばいいのやら、という感じです。

やっぱりそれには、世界で起きてること、問題をしっかり把握した上で、この時代に生きる日本人の女性として、助産師として私には何ができるか、何をしたいのか、を考えていかなきゃならんと思ったのです。

 

ある方のツイッター

「新しいことを学ぶときは発信する。そうすれば、自分の学んだことを整理できる上に、興味のある人からの反応が得られる。」

といったツイートがありました。

 

なるほど。

そうすれば、賛否両論タイムリーな意見が聞けるし、有力な情報をもらえるかもしれないし、人と繋がるチャンスも増えるし、自己学習の限界を超えられる!

 

てことで、はじめました、ブログ。

 

学んだことや感じたことを発信して、自分の糧にする。

どんどん投稿してこうと思います😊

 

③については、またいつか書こうと思います!

 

ではでは!