私のトナリビト 助産師のブログ

途上国の女性のエンパワメントをしたい、と思い助産師に。違いをわかちあい公平な関係を築きながら共生する世界に生きることが夢。キーワード;共生/公平/エンパワメント/女性/SDGs/生と性/環境問題/ethical/国際協力/平和

性の多様性が社会に浸透していくには?②

 こんにちは。

 前回のブログ「性の多様性が社会に浸透していくには?①」の続きとなります。

 

 埼玉大学 教育基盤研究センター「性の多様性をどう考える?〜フィンランドと日本を比べて〜」の学習会(詳細は性の多様性が社会に浸透していくには?①参照)を通して私が感じたことは、ズバリ

 

「性の多様性は教育されるものではなく、性の多様性を前提とした教育をしていくことで、自然に個人の価値観に浸透していくものなのではないか」

 

 ということ。

  そんな感想を持つに至った私が学んだことは3つ。

 主に、教育者である方々の報告会であったため、子どもたちや教員を対象とした教育をするにあたり大事なことを学びました。

  1. 「自分と違う人がいるのは当たり前」といった感覚が子どもたちに自然に身についていくためには、保健の授業で扱う性教育にとどまらず、他教科やさらには日常生活において異性愛を前提としない教育・関わり方をすること。
  2. 子どもたちの気持ちや生きてきた環境を配慮して関わること。
  3. 教える側が自身の価値観を押し付けないこと。

 

 自身のことを棚に上げた上で話しますが、性の多様性が前提として語られない社会で、性の多様性をどう浸透させていけば良いのだろう。異性愛がマジョリティの社会で、性の多様性を前提として話したところで、すんなりと受け入れる人がどれだけいるでしょうか。

 

 お話の中でこんなエピソードがありました。

 「〇〇さんは結婚しないんですか?」

 「うーん、日本の法律だと結婚できないんだよね。」

 それを聞いて答えが2極化したそうです。

 ①「そういうことね。」

 ②「どういうこと?!」

 

 

 

 特に、小学生くらいの子どもたちは、性的マイノリティとの関わりが少ない環境で育ってきている人達が多い。知っている大人といえば、親、親戚、教員、習い事の講師くらい。身近にマイノリティがいなかったら日本の社会の中で成長してきた彼らの中では、異性愛が当然という感覚が育まれていることは想像がつきます。

 その中で、自分がマイノリティに属するということを覚った子どもは生きづらい現状があります。

 また、教える側の性的指向によって偏った価値観を意識的または無意識的に押し付けてしまう可能性もあります。

 

 

 そんな異性愛が前提としてある社会で、性の多様性を性教育など一部の授業で扱ったところで、簡単にそれが個人の感覚や価値観の変化に結びつくのは難しい。

 

 だからこそ、性の多様性とは、〇〇である!という教育を一部で行うのではなく、すべての教育科目において、また日常生活の関わりの中で、性の多様性を前提とした教育や関わりをしていくことが大切であることを学びました。

 具体的には、保健体育の教科書のLGBTについて書かれているところだけに、ゲイのカップルの写真を添えるのではなく、国語の教科書に家族の絵を添えるのであればレズビアンの家族の写真を載せたり。

 掃除をするときに「男の子はこっち手伝って〜」「女の子はこれをやって〜」と分けるのではなく、「重いもの運ぶのに自信がある子はこっちきて〜」と言った分け方にしたり。

 

 またまた学習会中に出てきたエピソード

 「先生は男なのに、なんで自分のことを私っていうの?」

 という女の子の生徒に対して

 「大人は男女関係なく私という言葉を使うことがあるんだよ。

  あと、先生は、自分のことを私と呼んだ方が居心地がいいんだ。

  自分がどんな言葉つ使うかは、自分が居心地がいいかどうかで選ぶよね。

  それは、あなたも私も同じだよね。」

 

 完璧な答えを探すのではなく、面と向き合って嘘をつかずに対話をすることが大事ということでした。

 

 もっともっと、たくさんの分かりやすいエピソードや学んだことはあったのですが、長くなってしまうので自分の中に温めておきます。

 

 今回の学習会を通して私が全ての性のあり方を知っていつもりになったことはさらさらありませし、博愛主義の八方美人というわけでもありません。

 世の中にはまだまだ私の知らない人への魅力の感じ方や、自身の性に関するアイデンティティがたくさんあります。

 

 LGBTの象徴としてレインボーカラーがよく用いられますが、個人的にはSOGIの象徴として勝手に捉えています。

 虹って、色と色の境目がはっきりしているのではなく、グラデーションで繋がっています。どこかに当てはまらなければならない、このカラーが王道だ、ってことはないですよね。とっても素敵な象徴だなと思います。

 

 

 自分も含め、性には多様性があるということが誰しもにとって当たり前になる。

 雨上がりにかかる虹のように、さりげなく、特別な意味合いを持って。

 そんな社会に生きてみたい。

 

  私もこれから教育者となっていきます。

 性の多様性を前提として、でも相手の背景を配慮しながら理解しやすい形に噛み砕いて、自分の価値観を押し付けず。

 

 まずは自分の言動を振り返ってみよう。無意識な差別をしていないか。

 それからこれからは積極的にいろんな人にあって話を聞こう。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 また、自分の知見がアップデートされたら投稿していきます!

 

 ではでは。