性の多様性が社会に浸透していくには?①
こんにちは。
さて、今回の投稿ですが、こちらの学習会に参加したため、学んだことと感じだことを共有したいと思います。
埼玉大学 基盤教育研究センター様主催
「性の多様性」をどう考える? フィンランドと日本を比べて
私は現在、性教育をするために何をどんな風に教えていくべきかを勉強中です。実際に若者や保護者向けの性教育を行っているNPO法人に登録しており、フェローとして今後実際に性教育をしていく予定です。
なぜ、性教育をやりたいと思ったか、ということはまたいつか書きます。
この学習会に参加した目的は、性教育をする時に欠かせない要素「性の多様性」は、性教育が先進的なフィンランドではどう扱われているのか、日本の現状はどうなっているのだろうか、ということを知るためでした。
本題は学習会で学んだことと考えたことの共有なのですが、
テーマである「性の多様性」について私が学習会の前に抱いていた考えをこのブログではお伝えしていきます。(本題は「性の多様性が社会に浸透していくには?②」に投稿します。)
「性の多様性」という言葉に皆さんは馴染みがあるでしょうか。
それよりも、LGBTという言葉の方が聞いたことがあるかもしれません。
最近は、SOGI(Sexual Orientation & Gender Identity)という言葉も出てきたようです。
SOGIは、性的指向と性自認と訳され、すべての人に関わることからLGBTより広い概念を指す(Wikipedia)とされています。
簡単に言えば、LGBTは性的マイノリティを指す用語として使われていますが、SOGIはマジョリティも含まれる用語、というところでしょうか。
私自身、SOGIという言葉は恥ずかしながら最近知りました。そして、この用語を作ってくれた方、ありがとう!!!と思ったのでした。
私はここでいうマジョリティに含まれる性的指向の持ち主ですが、マイノリティな性的指向を持っている人たちとも今まで関わりはありました。
正直に申しますと、それこそ小学生の頃とかは、オカマは気持ち悪いとか、女が女を好きになるなんて理解できないって思っていました。
女子校に入り、「あれ、女の子もなんかカッコよく感じる…。確かに、女が女を好きになることもあり得るな…。」と思うこともありました。女子校という環境の所為なのかと思ったのですが、大学生になってもそう言った感情を抱く経験をしました。
自分がそういう経験をしたから、そりゃ誰が誰を好きになったってその人が魅力的なんだから性別なんてそんなに大事なことじゃないか、と思えるようになったのです。
LGBTという用語は社会でもよく取り扱われるようになりましたが、やはり生物学的な異性同士が好意を抱くことが普通であり、例外として語られる用語のような気がしていました。単に多様な性の中でそれを指す言葉として自立していればそこまで深く考えなくてもいいような気もしますが。
でもそうであるならば「生物学的な異性同士が好意を抱くこと」にも用語があってもいいのに。(用語があったらすみません、教えて下さい)
そしてようやく、SOGIという用語に出会えたので、嬉しかったということでした!
さて、次回は本題である、学習会を経て考えた性の多様性について。
先取りしますと、私が感じたのはズバリ
「性の多様性は教育されるものではなく、性の多様性を前提とした教育をしていくことで、自然に個人の価値観に浸透していくものなのではないか」
ということでした。
なんぞや?と思ってくれた方は是非次の記事へ!
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました!
ではでは。また後ほど。