夢の原点②高1でカナダ留学
こんにちは。
今回は前回に引き続き夢の原点のテーマで書いていこうと思います。
夢の原点②高1でカナダ留学
高校1年生の時、カナダへ留学しました。
小さい頃から英語の教員免許を持つ母に英語を教えてもらったり、英会話スクールに通ったりしていたので、英語が大好きで、外国人と話したり、外国の文化にすごく興味がありました。
ちなみにジブリは日本語より先に英語でみはじめました。
小学校の時の卒業アルバムに書いた将来の夢は「国際交流」。
世界中の人たちと仲良くなりたい、英語を話したい。
それに重ねて前回のブログ「夢の原点①小4で途上国を知る」で書いたように、困っている人たちのために、差別を受ける女性のためになりたい、それを通して世界の平和に貢献したいという夢がありました。
そんな私も小学6年生となり、小学校生活最後の年になりました。
母がある日私に言いました。
「留学興味ある?」
中学受験をすることになるけど、高校生で留学に1年いける制度がある。
1年休学することになるから、学年が途中から一つ下になる。
でもやりたいならやってみてもいいよ。
という話でした。
本当に恵まれた環境で育ったなと思います。
地元の友人と離れてしまうのは寂しいな、女子校だから恋はお預けになるんだろうな、途中から学年が下がっても大丈夫なのかな…
その時は、その時だ!
留学に行ける可能性があるのならと思い、そちらの中高一貫校に進みました。
この制度は、学費が無料で1年間の留学に行かせてもえるというもののため、1年に1名しか派遣されません。必死で勉強しその資格を得ました。
留学の目的としては、
・英語をしゃべれるようになって帰ってくること
・異文化に触れて広い視野や価値観を体感してくること
・将来何をしたいかを考えてくること(これは母より)
カナダでの生活は、体の毛一本一本がざわつくほど刺激的でした。
大使館の子どもたちも通うような学校で、国籍は本当に様々。
肌の色、顔立ち、髪の毛、振る舞い、英語のアクセント、宗教、服装、食べるもの。
同じ英語圏、国なのに、こんなにも違う文化がごちゃまぜになって、でも調和がとれている。私の拙い英語を馬鹿にする人は誰もいなくて、見た目や信条が違うのは当たり前、嫌な顔一つせずに受け入れるのが当たり前の世界。
それでも学校外ではちょっと差別も受けました。
私はすごく偏った世界に生きていたんだ、と体感、実感。
同じ年に入学したイラン人の女の子(飛び級してて年下)と仲良くなりました。
二人とも英語圏に住むのはその時が初めてで、気兼ねなく下手くそな英語で喋りまくり、辛い時を共有しました。
ムスリムの人と知り合うのもその時が初めてでした。最初はグイグイ寄ってくるその距離感がつかめず、
「(心理的にも物理的にも)ちかい!!!!」
と、戸惑いを隠せませんでしたが笑
その子のお家にお呼ばれし、大きなパプリカにお米や野菜が詰まった料理(イランのおもてなし料理らしい)を食べたり。ペルシャ語で話す家族の会話を聞いたり。
お姉さんはいつもスカーフを顔に巻いているのに、友人は巻いていない、同じムスリムでも個人の考え方次第なんだなあと知りました。それでも、イランに帰ったらスカーフはしなきゃいけないのよ、と教えてくれました。
また、私はフランス語圏に住んでいたため、二つの言語が融合した街並みも新鮮でした。
辛く、一人でランチをトイレで食べたこともありましたが、
それは自分の殻の中に閉じこもってしまっただけで、誰のせいでもありません。
英語が上達しないと泣いた時は、ホストファミリーが励ましてくれました。
sweet 16の誕生日を自分で企画して、パジャマパーティーをしました。
ハロウィンで3kgのゴミ袋くらいの袋いっぱいのお菓子をご近所を回ってもらいました。
流行りのテイラー・スイフトの曲に合わせてミュージックビデオをホストシスターたちと撮りました。(音楽やダンスを多少なり知らないと同世代についていけない笑)
食べ物が美味しく15kg太りました。
友人とコテージで湖を泳ぎました。
クリスマスはトロントでホストファミリーの家族たちと過ごしました。
なぜかバドミントンで市の大会で3位になりました。
いいことも苦いこともぎゅうぎゅう詰めになった今にも溢れそうなキャンディーボックスのような1年間でした。
パンパンになった体にもかかわらず、ノースリーブに短パン、サングラスをして成田空港に登場し、「missed you!!!」といいながら母をハグした時の、母の動揺っぷりに逆に動揺したのを覚えています笑。母は最初私に気がついていませんでした笑。
当初の留学の目的はほぼ、果たしました。
しかし、将来何をしたいか、これだけは決まっていませんでした。
2度目の高校1年生。
理系か、文系かの選択を迫られていました。
ここから私が涙するほど悩んだ進路。
助産師になろう、とどうしてそこに繋がったのか。
続きは次回のブログで。
ちなみに、帰国した後、和食と部活でほぼ元どおりの体型に戻りました!
つくづく日本はおデブは住みにくい国だと思いました…
ではでは。